介護職員だった私が考える安楽死について

介護 安楽死
安楽死」という言葉は、誰もが1度は聞いたことがあると思います。
でも実際に深く考えたり、誰かと話し合ったりしたことはありますか?
私は介護の仕事をするまで、どこか他人事で考えたことはありませんでした。
ついこの間まで元気だった入所者さんが、いきなり亡くなったりと「死」ということを身近に感じる職業に就いた時、人の最後はどうあるべきなのか考えさせられました。
簡単に答えのでることではありませんが、私の考えを書かせていただきます。

安楽死は2通りの方法がある

漠然と「安楽死」とは苦しまずに死ぬことと思っていたので、辞書で調べてみました。
そこには、「助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で死にいたらせること。」とありました。

また安楽死は、大きく分けて2つ種類があります。
本人の意思に基づいて自殺を薬などを使って故意に助けて死亡させる「積極的安楽死」と、本人の意思または本人の意思表示が不可能な場合子供や配偶者などの意思によって治療を行わないことや延命治療をしないことで、結果として死亡させることを「消極的安楽死」といいます。

消極的安楽死は日本で認められているけど、積極的安楽死はまだまだ認められていません。
私の意見としては、積極的安楽死はいくら本人が死を望んでいるとしても殺人ではないかとこの意味だけを見たら思ってしまいます。
でも実際、痛みなどの苦痛に毎日耐えている人を目の前にしたら同じことを言える自信はありません。
みなさんはどう思いますか?

生きたいという気持ち

介護 安楽死一番最初に安楽死について考えたのは、癌を患ったある入所者さんが食べることも飲むこともできず点滴だけで必要な栄養をとり、毎日大粒の汗をかいて時折悲鳴をあげながら毎日過ごしている姿を見たときです。
その方の息子さんは、どんな形でも生きていてほしいと延命治療を望んでいました。
週に1度のペースで面会に来ていましたがきょとんとした表情で、
「何でこんな悲鳴みたいな声だしてるんですか?」
と私に聞いてきたとき、怒りの感情が湧いてきたのをおぼえています。

点滴を止めたらいつ亡くなってもおかしくない、いや点滴をしていても瀕死状態で日々苦しんでいる入所者さんを毎日見ていた私たちは、「早く楽にしてあげたいね」と陰では話していました。

やはり辛そうにしている人を見ていると見ていられなくなってきます。
「なぜ延命治療を望むのか?」
「お金でも絡んでいるのか?」
とみんなで話していたこともありました。
でもある日その入所者さんが体調が良さそうなので、起こして水分を口からいけないだろうかという話になり、食堂に連れて来てお茶を勧めていました。
その時です。
その方は私の方を向き目を見開き、
「まだ死なねーからな!!!」と大きな声で叫びました。
私はもしかして息子さんではなくこの人が生きることを望んでいるのかと思いました。
それから1か月経たないうちにお亡くなりになりましたが、生きたい!と思うこの方の意思があったのではないかと思います。
生前も意思疎通ができる方ではなかったし今となってはわかりませんが、早く楽にしてあげたいという気持ちは、私たちの勝手な主観だったのかもしれません。

生きることの意味

介護 安楽死ほぼ全介助の、ある入所者さんがいました。
言葉を発することもなく感情表現もほぼなく、1日中無表情で座っているか寝ているかの毎日でした。
その方は男性で以前転倒したことがあったので、移乗の際には必ず二人介助でした。
ある日トイレに座ってもらうため同僚とトイレに連れて行き介助をしていると
同僚が「言ってはいけないことだけど、正直こんな状態で生きてる意味あるのかな?」と言いました。
私は言葉につまりました。
本人の前で話すことではないとも思ったし、何より私も同じことを思っていたからだとおもいます。
何も言えませんでした。
「生きてる意味ってなんなんだろう?」考えさせられました。
私なりに考えたことですが、例えばご家族の方がこの方を必要としていたとしたら、それは生きる意味になるのではないでしょうか?
この方には頻繁に訪れる娘さんがいました。
私たちの価値観で生きる意味があるかないかを決めることはできません。
とても難しいことだと思います。

認知症の方たちの安楽死

認知症で介護が必要な人間は安楽死させるべきでは?という人もいます。
私の両親はいつも認知症の話になると、
「迷惑をかけたくないから、認知症になったら早く死にたい。」と言います。
実際介護疲れから世の中事件も起きています。
もし安楽死が合法化されたら、果たして解決する問題なのでしょうか?
認知症の方の安楽死に関しては、とても難しい問題だと思います。
認知症の人の中には自分が認知症であると自覚していない人もいます。

人によっては認知症の病気のせいで「もう死にたい。」と言ったり、意思表示ができない人もいます。
体はとても健康だったりもします。
何をもって安楽死を認めるかは、簡単には判断できません。
ではなぜ認知症の人の安楽死という話になるのでしょうか?
そこにはご本人の「家族に迷惑をかけたくない」という気持ちや、ご家族の方たちの「誰にも相談できない。」といった時代の背景があるのではないでしょうか?
もちろんそれだけではありませんが。

もっと気軽に相談できる場所があったり、自分が認知症になっても大丈夫!という充実した福祉環境があれば、みなさんの考え方も変わるかもしれません。
このことに関しては人それぞれ色々な考えがありますし何が正しいということはないと思いますが、最後の時をその方の自然な形で迎えられるような環境がそこにあったらいいなと思います。

投稿者プロフィール

いずみ@休職中
いずみ@休職中
現在妊娠中のため、休職をしていますが特別養護老人ホームで1年ほど介護の仕事をしていました。
経験年数は少ないですが、介護の仕事に興味のある方にわかりやすい記事を作成してゆこうと思います。